<梅田貨物ヤード>
梅田の貨物駅がなくなるというので撮りに行った。梅田という場所は、神戸に住んで大阪で仕事をする人にとっては日常だ。日常過ぎて、存在が当たり前すぎて忘れていた。子供の頃から、街中なのに広大な貨物の何かがあるなあ(外からは見えにくい)と思っていた。大阪の新しい駅ビルやグランフロント、あるいはもう少し前にできた西梅田の高層のオフィスビルができて初めて、身近にこの貨物駅の全体が見えるようになった(空中庭園のある積水のビルは1980年代からあったが、なかなか日常ではなかった)。
阪急電車で梅田駅に着く寸前にこのヤードの端を鉄橋で越える。運が良いと入替をしているDE10や貨物列車が見られた。もっと昔はSLが見れていたはずだが記憶がない。神戸の西の端に住んでいた僕は、子供の頃は阪急で梅田に来る機会は非常にまれだった。大阪に来るなら乗り換えの要らない国鉄だったのだ。しかし、東海道本線からは、ここはあまりに見えない。
ヤードがあって、DE10が入替をしている鉄道風景は、鉄道ファンにとって実に良い風景だ。かつてはSL駆逐の先鋒で天敵だったDE10が愛おしい(笑)
いまや貨物と言えばコンテナ列車になってしまって、多種多様な貨車を引く姿は見られないが、長大なコンテナ列車に立って、ガシンと発信していくEF210は頼もしくかっこいい。普通車の客車列車というものがほぼなくなってしまった今、機関車というものが頼もしいく愛おしい。


<城東貨物線 赤川鉄橋>
昭和45年頃に播但線などにSLを撮りに行っていた神戸の西の端の(=田舎の)中学生にとって城東貨物線は得体の知れない憧れだった。情報が少ない時代だったので、城東貨物線というものがどういうものか良く分かっていなかった。しかし、当時出ていたSL時刻表みたいなものを見るとやたらとSLが走っている。当時は吹田はもちろん竜華機関区などにも山のようにSLがいて、本線だけでなく入れ替え作業などに働いていた。しかし、なかなか撮影に出向くには特に中学生にはハードルが高かったのだ。
城東貨物線が東大阪線という営業路線に変わることで、この赤川鉄橋の有名な片側歩道もなくなり、ここに線路が敷設される。つまりもうこの長い鉄橋を鉄道線路とともに歩くという珍しいことができなくなるというので、多くの人が訪れていた。人間は、普段見向きもしないものでも、なくなるとなると惜しくなるのだ(笑)